霊場の歴史
「法然上人伊賀霊場」は、法然上人御生誕の地である岡山県美作の誕生寺から、
御入滅の地である京都の総本山知恩院までを巡る本家本元の
「法然上人二十五霊場」
の写し霊場です。
本家の始まりが宝暦年中(1751~63)頃といわれ、
それからまもなく後の天明4年(1784)に当地にも「法然上人伊賀二十五霊場」が定められました。
発起願主は上野寺町・念佛寺の第十一世である相誉上人と伝えられています。
時は下り昭和58年(1983)の法然上人御生誕850年を契機として、
新たに「法然上人伊賀新二十四霊場」が定められ、
先の「法然上人伊賀二十五霊場」と合わせ、伊賀教区の浄土宗寺院の全てである49ヶ寺が網羅されました。
そして平成23年(2011)の法然上人800年大遠忌を勝縁として、
「法然上人伊賀新二十四霊場」には、
名張市黒田の「法然寺供養塔(浄土宗宗宝・日本浄土祖師九輪塔)」が加わり、
「新二十五霊場」と改められました。