第十九番
心光山
西方寺
由緒
寛正3年(1462年)に心蓮社光誉上人の開基と伝わり、当初は西方庵という念仏道場で、現在地より西方約500メートル位奥の方にあったという。
寛永3年(1626年)頃、藤堂高吉公が伊予の今治より名張に移封の際に、その妻 慶法院殿、重臣 小澤家を始め30余家が菩提寺と定めて堂宇を現在地に移転した。
中興開山還誉上人代(2世)である。
7世園誉上人の時、12世説誉上人の時に堂宇が再建され現在に至る。
名張市指定文化財として「キリシタン文書」がある。
寛正3年(1462年)に心蓮社光誉上人の開基と伝わり、当初は西方庵という念仏道場で、現在地より西方約500メートル位奥の方にあったという。
寛永3年(1626年)頃、藤堂高吉公が伊予の今治より名張に移封の際に、その妻 慶法院殿、重臣 小澤家を始め30余家が菩提寺と定めて堂宇を現在地に移転した。
中興開山還誉上人代(2世)である。
7世園誉上人の時、12世説誉上人の時に堂宇が再建され現在に至る。
名張市指定文化財として「キリシタン文書」がある。
法然上人伊賀霊場チャンネル
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