第二番
平庸山
徳永寺
明治以前は、浄土宗の中本山安土(滋賀県)浄厳院の末寺であった。 戦国時代末期に徳川家康公のいわゆる“伊賀越え”に当寺が関わったことで、恩賞として周囲の土地や山林を下賜され今日に至っている。 境内には、江戸中期に創建された閻魔堂(十王堂)があり、また19世紀末に信州善光寺より「一光三尊阿弥陀如来立像」のご分身を迎え、 以来春秋の両彼岸は、本堂西隣の善光寺堂にて諸法要を勤めている。 なお、山号額「平庸山」は、当寺出身の知恩院第66世察誉貞瑞大僧正の揮毫によるものである。